2008年10月20日

【映画レビュー】アカルイミライ 〜クラゲ世代〜


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さて、もう一本。
実は見てませんでした。この映画。

絶対見なきゃ〜って思ったのにね。

見終わった瞬間は何も思わなかった…おかしいな。
でもあとで、わかった、すごい映画だと。



ストーリーは省略します。




で、この映画はマモル(浅野忠信)が飼っていて、
仁村(オダギリジョー)が譲り受けた毒クラゲが
重要なシンボルになっているのですが、
毒クラゲっつーのは、
「水槽の中に入れられて、キレイに見えるけど、
触ると毒で刺されて怪我をする。死に至るときもある」

このクラゲに関して言えば
「東京という街で生きられるように、海の生き物なのに
真水を混ぜられている」

これって、ある意味若者の象徴なんですねー。

東京という街に適応できるように「真水人間」にされようとして、
ぱっとみ小奇麗でフワフワ漂っているけど、触れてしまえば、
相手を刺すような一面も持っている。

結局クラゲにとって「アカルイミライ」は何なのか?
クラゲにとって居心地の悪い東京を脱出して、
クラゲが向かった先が彼らの「アカルイミライ」。

じゃぁオダギリジョーに代表される若者の
「アカルイミライ」ってなんなのか?

ふとしたこと一緒に働くようになったマモルの父(藤竜也)と
仁村の関係のように、
お互いがお互いに深く踏み込んで、毒で刺しあいながらも
見つけていくものなかなぁと思った。

でも、この映画ではそこまで答えとして出していない。

自分が思うに、若者に対して
「こうすべきだ!」みたいな明白なメッセージを送ることは、
クラゲに触れる行為と一緒だと、黒沢監督が考えたんじゃないかなと。

主張はありつつも、それぞれが自分で感じてくれればいい。
若者に説得するのではなく、自分で発見するきっかけにすればいい、
そうなのじゃないかと思いました。

黒沢監督の試写会の挨拶でも
「映画のタイトルも全て忘れてもいいですけど、
あ〜こんな映画あったなぁ〜なんて、何年たっても断片的に
ココロの隅っこで覚えていてもらえれば、光栄です」
なんてことを言っていた。

このスタンスもまた、今っぽいではないですか。

で、なんで自分は最初ピンとこなかったのか?
日々、オトナの世界で仕事する中で何もかも
白黒はっきりさせすぎる生き方に身をさらしすぎたのかもしれん。

そういえば、10代の時って、もっとモヤモヤしたまま
生きてた気もするけど、今じゃそれすら許されない。

でも、
バブル後の失われた10年を青春時代として生きてきた
自分達の世代にとって、
フワフワとキレイに漂いながらも、
踏み込まれたくないから、毒針をもつクラゲの気持ちは
痛いほどわかるな〜。

で、このクラゲのように漂いながら、
自分にとって「アカルイミライ」を探すんだろうね。


※余談ですが、加瀬亮や、松山ケンイチが端役で
さりげなく出てます。そんなところにも
ちょっと時代を感じてしまった…
posted by 107gou at 15:02| 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 107号室的映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本編のラストシーンにトリュフォー監督の遺作(日曜日が待ち遠しい)のラストシーンで子どもたちがカメラレンズのケースカバーを蹴って遊ぶシーンをオーバラップさせて見ていました!若い世代を象徴した共通性は希望のある無しに関わらず存在するし。僕は猛毒の赤く輝く電気クラゲに3.11以後の社会諷刺まで感じたのだがー。最近ベルイマン監督の(第七の封印)に、にがよもぎ(チェルノブイリ)の箴言を読み取ったばかりだったのでー。(冬の光)の杞憂する漁民の男ではないがー。
Posted by PineWood at 2015年10月08日 21:28
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